孤独じゃない、“静かな充実感”とは。
「一人でいるの、寂しくない?」
ときどき言われる言葉だけど、私にとっては少しピンとこない。
というのも、昔から意外と“ひとり時間”が好きだったから。
友達はたくさんいたし、誰かと過ごす時間も大切にしていたけれど、
どこかで「ひとりでいるときの自分」が一番ラクで素直だった。
旅行だって、ひとりで行くことがほとんどだった。
気を遣わずに、行きたい場所へ、行きたいタイミングで。
ひとり飲みも大好き。
BARはもちろん、焼肉屋やフランス料理だってひとりで行きます。
「ひとり=さみしい」わけじゃない
もちろんみんなでワイワイするのも好き。
写真を撮って、誰かと共有することだって楽しい。
でも50代になった今、ようやく時代のほうが自分に追いついてきた気がしている。
“ひとり”は、さみしくなんかない。
むしろ、心が整って、やっと本来の自分に戻れる時間だ。
たとえば、こんな瞬間。
- 昼間からお風呂に入ったりワインを飲んだり。
- スーパーで今夜の献立を自分の気分だけで決めるとき
- 深夜、好きなラジオ番組を聴きながら寝る前の時間を過ごすとき
それらすべてが、“誰のためでもない、私のための時間”。
しみじみとした幸福感が、じわっと胸に広がる。
足し算じゃなく、引き算の美学
若い頃の毎日は、“何をするか”“誰と過ごすか”の足し算だった。
予定が埋まっていることが、安心だった。
でも、50代を過ぎて気づいた。
本当に必要なものは、引き算した後に残る。
空白の予定表、静かな夜、自分のためだけに作った食事。
そのどれもが、自分の心と身体を整えてくれるものだった。
「ひとり」は、自由と誇りをくれる
ひとりでいるということは、自由であると同時に、
自分の人生に責任を持つことでもある。
何を食べるか、どこへ行くか、誰と関わるか。
全部、自分で決められる。
それは、怖くもあるけれど、同時にすごく誇らしいことでもある。
おわりに:誰かと笑い合う日も、一人で微笑む日も
今でも、友達と笑い合う時間は大好き。
だけど、同じくらい、いや、それ以上に、
自分の中にこもる“ひとり時間”も大切にしたいと思う。
50代の今は、「誰といるか」よりも「どう在るか」が大事。
静かで、地味で、派手さはないかもしれないけれど、
私は今日も、自分のペースで、満ち足りた一日を過ごしている。
ひとりでいる時間は、実はとても豊かで、しあわせな時間なのだ。



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